
☆最終日は知床の早朝に散歩に出掛けた。
これは宿の近くのキャンプ場。
キャンプ場内にある、夕陽の見える展望台からの眺め。
方向が反対のため、眺めはイマイチ。
ウトロの町の丘の上にあった宿から下りて行ったら、
レトロな時計台?を発見。信用金庫らしい。
これはオシンコシンの滝。
オシンコシンの滝(おしんこしんのたき)とは、北海道斜里郡斜里町のチャラッセナイ川の河口付近にある滝。源流は、知床半島の中央部に位置する遠音別岳西側斜面である。日本の滝百選にも選ばれた。名前の由来はアイヌ語で「川下にエゾマツが群生するところ」を意味する「オ・シュンク・ウシ」から転じた。 ちなみに滝がかかる川「チャラッセナイ」の由来は、同じくアイヌ語で「チャラチャラ流れ下る川」から。
(「ウィキペディア」)
これは海から鮭が上がり産卵するという川。
上の道路上からも多数の鮭の姿が見られた。
これはいかにも北海道らしい、一直線道路。
何と端まで27キロあるらしく、
道の中央から撮影しても道が空に消えて確認出来ない。
肉眼で確認出来る限界を超えているのだそうだ。
これは車窓から見た網走湖。
これは小清水原生花園。
原生花園駅と言う鉄道の駅があり、1時間に1本1両だけの列車が
通るとの事。たまたまその列車も目撃した。
続いて網走監獄博物館を訪問。
これは元使われていた門をそのまま移設したもの。
囚人に僧侶の説教を聞かせる講堂。
リスを目撃して慌ててシャッターを切ったもの。
素行の悪い囚人を閉じこめて反省させる建物。
7日間、重湯しか与えず正座しっ放し。
網走監獄からの脱獄に成功した脱獄王白鳥が、
今まさに脱獄しようとしているフィギュア。
白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年7月31日 - 1979年2月24日)は、元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた。看守に怪我をさせたり、人質を取るという強行突破は1度としてなく、当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評されたほどの伝説の受刑者である。
26年間の服役中4回の脱獄を果たし、累計逃亡年数は3年にも及ぶ。
青森県出身。幼いころに豆腐屋の養子となる。1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄。収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ懲罰を受けることとなり、次々と脱獄と収監を繰り返すこととなった。
網走刑務所脱獄時には、放浪先で傷害致死事件を犯し収監の期間はさらに延長。網走の脱獄の際、特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄するという、時間任せの伝説的な話が残る。
(「ウィキペディア」)
これは最後の目的地「オホーツク流氷館」
現物と同じ流氷を体験。
屋上の展望台から四方を展望撮影した。
これを最後に女満別空港から羽田を経由して帰広した。